その時だけ、その場だけの権謀術数、と言う意味です。
『韓非子』難1 第三十六篇 で、晋の文公が楚を攻めようというとき、舅犯(キュウハン)と雍李(ヨウキ)を、交互に読んで意見を聞きました。
この戦いは、『城濮(ジョウボク)の戦い(B.C.632年)』と言いまして、春秋四大会戦の一つで、晋が勝利して、その結果晋の文公が覇者となった重要な戦いでした。口語訳で記載します。
晋の文公が楚の軍と決戦をしようとした。舅犯を呼び寄せてたずねました
わしは楚の軍と決戦しようと思うが、あちらは多勢でこちらは無勢だ。どうしたものだろう。
舅犯は言いました。私はこう聞いております、
こまかい礼を守る君子には、忠信、誠実でもよいが、
戦陣の場ではどれほどだましてもよい。
ですから殿にはぜひとも敵を欺くことです。
文公は舅犯をさがらせ、雍李を呼び寄せて、同じようにたずねました。
雍李は答えて言いました。
林を焼いて狩りをして多くの獣を取ったなら、その後には獣はいなくなるでしょう。
だまして、一時の勝利を得ましても、その後に再び使うことはできないでしょう。
結局文公は舅犯の進言を用いて、勝利をおさめました。
論功行賞を行うときに、雍李を第一とし、舅犯を後にした。群臣は言い合った。
『城濮の戦い』の勝利は舅犯の謀計によるものだ。舅犯の進言を用いて、その処遇を
後にするのは、良いのであろうか、と。
文公は言った。
それは諸君らには分かることではない。舅犯の進言は一時の権謀であり、雍李の進言は
万世に通ずる功である、と。
仲尼(孔子)はこれを聞いて言いました。
文公が覇者となったのは、もっともであるな。
一時的な仮の策をわきまえたうえで、また万世の利益も知っていたのだから。