【秋毫(シュウゴウ)を明察(メイサツ)す】と訓読されます。
どんな小さなことも見逃さない、洞察力にすぐれていることを表す四字熟語です。
【明】は、日+月だから「あかるい」、と思われがちですが、実は違います。「日」は窓の象形です。
窓からこもれ出(いずる)月の光による「明るさ」を表す字です。
【察】は、「宀+祭」の会意文字です。祭祀・儀礼を行う建物を表す字です。その中で祭りを行って
神意をうかがい見ることを【察】といいます。
【明察】は、ものごとをはっきりと見抜くこと、と言う意味です。
【秋】は、「禾+龜+灬」からできた会意文字です。虫を焼いて来年の豊作を祈る儀式を表す字として作られました。
【毫】は、「高+毛」からできた形声文字です。「ふで。わずか」と言う意味があります。
【秋毫】は、秋になって、新しく生え変わる鳥獣の細かい毛のことを言います。
【明察秋毫】は、『孟子』の梁・恵王(リョウ・ケイオウ)章句・上に出ています。
齊の宣王が孟子に、
あわれみの心が王たるべき資格として必要なのは、どうしてですか、と聞きました。
では申し上げます。誰かが王様に、
『自分は力があるから、どんな重い物でも持ち上げられるのだが、
一枚の羽根はどうも持ち上げられない。』
と申し上げたら、王様は『なるほど尤(もっと)もだ』と信じられますか。
王が言いました、「なんで、そんな(馬鹿げた)ことが信じられるものか」
そこで孟子が言いました。
一枚の羽根が持ちあげられないということは、力を出そうとしないからです。
人民の生活が安定しないのは、お情けをかけようとなさらぬからです。
ですから王様が(仁政を施(し)かれて)王者となられないのは、なろうとなさらぬからであって、
出来ないのではありません。