利害の入らない、親密な友情を表す四字熟語です。
春秋時代中期、斉の国で、管仲夷吾(カンチュウイゴ:?~B.C.645)と鮑叔牙(ホウシュクガ)の友情を元にして出来た言葉です。
この【管鮑之交】を意識して、唐の時代、杜甫が長安で貧しい生活をしていた41歳頃、「貧交行」と題する七言四句の詩を作りました。ただし三句目だけが『君不見管鮑貧時交:君見ずや管鮑(カンポウ)貧時(ヒンジ)の交わり』 と8言(漢字8文字) になっています。そんなことから古詩と言われています。
手を翻(ひるがへ)せば雲おこり 手を覆(くつがへ)せえば雨ふる、
手を上に向けると曇り、下に向けると雨になる。
紛紛(フンプン)たる軽薄(ケイハク)なんぞ数(かぞ)うるを須(もち)いん。
薄情な人間が多すぎて、いちいち数える気もしない。
君見ずや管鮑(カンポウ)貧時(ヒンジ)の交わり、
あんた、知ってるかい、管鮑の交わりを
此の道 今人(コンジン)棄(す)てて土(つち)の如し。
今の奴ら、土くれのように捨てっちまった。 嘆かわしいことだ。
当時の杜甫は科挙に落ちて出世の見込みもなくなり、何とかしなくちゃと就活の真っ最中でした。
生活も荒(すさ)んでいました。かつて親しくしていた友人たちも、手のひらをかえしたように、離れて行きました。
そんな友人をみるにつけて、杜甫は【管鮑之交】を思い起こすのでした。
その【管鮑之交】は、杜甫の時代から遡ること1400年、春秋五覇の先駆け、斉の桓公に宰相として仕えていた管仲と、管仲を桓公に薦め、自らはその下に就くを好しとしていた鮑叔牙の【交わり】についてです。『史記』管晏(カンアン)列伝に詳しく記載されていますが、そのいくつかをまとめてみました。
① 管仲と鮑叔が一緒に商売をした時、その利益を、鮑叔より余分にとりました。
しかし鮑叔は管仲を欲ばりとは言いませんでした。管仲が貧乏なのを知っていたからです。
② 鮑叔の為を思ってやったことが失敗して、鮑叔を窮地に陥れたことがありました。
管仲をおろか者とは言いませんでした。事には当り外れがあるのを知っていたからです。
③ 管仲は何度も仕官しては、馘(くび)になりました。それを無能だとは言いませんでした。
まだ運が向いてこないのを知っていたからです。
④ 戦の時に、何度も敗けて逃げ出しましたが、それを卑怯だとは言いませんでした。
管仲に年老いた母のあるのを知っていたからです。
後年、管仲の鮑叔に対する述懐です。
『私を生んでくれたのは父母だが、私を知ってくれたのは鮑叔牙だ』