内と外との区分、と言うことですが、自分のなすべきことと、自分が関わるべきでないことの区別と言う意味です。『荘子』逍遥遊篇にある言葉です。
而宋榮子猶然笑之 。
而(しこう)して宋栄子(ソウエイシ)は猶然(ユウゼン)としてこれを笑い、
そこで、(荘子よりやや先輩の反戦主義の思想家)宋栄子は、ゆったりとした有様で、
(世間の噂に一喜一憂する、善良なる常識人の)彼らを冷笑する。
且舉世而譽之而不加勸、
且(か)つ世を挙げて、これを誉(ほ)むるとも勤(はげみ)を加(ま)さず、
そして、世のすべての人々に誉められても、そのためにさらに励むということもなく、
舉世而非之而不加沮、
世を挙げてこれを非(そし)るとも沮(くじけ)を加(ま)さず、
世のすべての人々に誹(そし)られても、そのためにがっかりするということもなく、
定乎内外之分、
内外の分を定め、
内なる自分の心と外界の事物との分別をはっきりと立て、
辯乎榮辱之竟、
栄辱の竟(キョウ)を弁ず。
栄誉と恥辱の境界を区別している。
斯已矣。
斯(こ)れのみ。
それだけのことである。