天子の言葉は一度口から出されると、汗が元に戻らないのと同じ様に、取り消しは出来ません、と言う意味です。「綸言」は天子の言葉。 【綸言如汗】の四字熟語の前半「綸言」について、儒学の経典『礼記(ライキ)』に「王の言は糸の如し,其の出づるや綸(リン:太い糸)の如し。王の言は綸の如し,其の出づるや綍(フツ:おおなわ)の如し」 とあります。 天子の言葉は最初は糸のように細いが、いったん天下に出されると、太い糸のようになり、さらに太い縄のようになる。 重いものです、と強調しています。
その「綸言」が汗のように、いったん発せられると、元には戻らない、取り消しが出来ない重いものである、と言うことを身を持って進言したのは前漢の劉向(リュウキョウ)です。 宦官の専横を元帝に献策しようとしましたが、事前に事がもれてしまい、獄に入れられてしまいました。 獄中から書面をもって「易経にある通り、号令は汗の如くにして、汗は出でて反(かえ)らざる者なり」と元帝に言葉の重さを諫言したことがこの【綸言如汗】のそもそもであります。
古来おおやけの仕事に携わっている人達、いま言うところの公務員達(政府、国会議員、官僚、・・・・)は綸言汗の如しを踏まえて発言してくれればなあ、と思いませんか。 そうなれば信用されるのにね。 「信無くば、立たず」と言うじゃないですか、これは 「信用されなければ、成り立っていかない」と言う意味ですよ。