【小人は朋(ホウ)無し】と訓読みされまして、
小人(普通の大人)には眞に志を同じくする仲間というものはありません、という意味です。
欧陽脩(オウヨウシュウ:1007~1072)の『朋党論』にある言葉です。
『朋党論』は程々に長文です。『十八史略』に要点が記載されています。
読み下し文に、小人、君子という言葉が出ていますが、小人は「普通の大人」、君子は「(徳のある)立派な大人」と読み替えると、納得がいくかと思います。
小人は朋無し。惟(た)だ君子のみ之れ有り、
小人(普通の大人)には眞に志を同じくする仲間というものはありません。
ただ徳をもって集まる君子(立派な大人)にだけ、眞の仲間があります。
小人利を同じくするの時、暫く朋と為(な)る者は偽(いつわり)なり。
小人に仲間があるように見えるのは、
(利益を同じうする時だけ)しばらく仲間を作るのであって、
それはにせの仲間であります。
其の利を見るに及びては先を爭ひ、
だから利益を見ると、我先に争って得ようとし
或(あるい)は利(リ)盡(つ)くれば情(ジョウ)疏(うと)く、
利益がなくなれば、交わりも疎くなり、
反(かえ)りて相(あい)賊害(ゾクガイ)す。
ひどいのになると反目して、互いに害しあうようになります。
君子身を修(おさ)むれば則ち道を同じくして相(あい)益(エキ)し
君子はわが身を修養する時には、道を同じく守って助け合い、
國に事(つか)ふれば則ち心を同じくして共に濟(な)し、
また国に仕えるときには、心を同じくして、ともに国のためにつくし
終始(シュウシ)一の如し。
終始一貫、変わることがありません。
此れ君子の朋なり。
これが、徳の有る立派な大人の仲間であります。
君(主権在民の現今、我々国民)為(た)る者は、
我々国民は、(既存、新規を問わず)
但(ただ)當(まさ)に小人の偽朋(ギホウ)を退ぞけ,
小人のにせの仲間を退けて
君子の真朋(シンポウ)を進むべし。
君子の仲間をあげ用うべきであります。
則ち天下治まらん、と。
そうすれば世の中は良く治まります。