【芳(ホウ)を後世(コウセイ)に流す】と訓読みされまして、美名を後世に残すという意味です。
『晋書』桓温伝に見える言葉です。
桓温(カンオン。312年~ 373年)は東晋の政治家・軍人で、東晋を牛耳り、禅譲を目論んだのですが失敗しました。【竹馬之友】や【母猿断腸】の四字熟語に登場する軍人です。
既不能流芳後世、
既(すで)に芳を後世に流す能(あた)は不(ず)んば、
ここに至って、美名を後世に遺すことができないようでは、
不足復遺臭万載邪。
復(ま)た臭(シュウ)を万載(バンサイ)に遺(のこ)すに足(たら)ず邪(や)、と。
悪名を万代に遺すこともできないだろう。
明治3年(1870年)9月19日、戸籍整理のため、「平民苗字許可令」がだされ、貴族や武士だけではなく、平民も名字を名乗ることが許可されました。
しかし、苗字はなかなか普及しなかったため、
明治8年(1875年)2月13日に「平民苗字必称義務令」を出して、すべての国民に強制的に苗字を名乗らせました。
ちなみに2月13日の苗字の日は、「苗字制定記念日」とも呼ばれます。