【老蚌、珠(たま)を生(ショウ)ず】と訓読みされまして、年を経た蚌(どぶがい)が真珠のような珠を作るという意味です。蚌珠(ボウシュ)と言うそうです。
蚌珠は大変美しく、とても「どぶがい」が作ったとは思えないことから、
平凡な親から賢い子が生まれる喩えに使われます。
後漢末の魏王・曹操に仕えて、「建安の七子」の一人に数えられた孔子二十四世の孔融(コウユウ)が友人の夷端(イタン)にあてた手紙に、夷端の二人の息子を讃えた言葉として使われています。
先日 李元将 来たる。淵才亮茂(エンサイリョウモ)、雅度弘毅(ガドコウキ)、
先日 ご長男の李元将殿が見えられました。
奥深い才能と、明らかな才徳をお持ちになり、
雅やかで度量が広くて意志堅固なご様子でした。
済世(セイセイ)の器なり。
眞に、世を救うほどの大きな器の持ち主とお見受けしました。
昨日 李仲将 来たる。文敏篤誠(ブンビントクセイ)、保家の主なり。
昨日 ご次男の李仲将殿が見えられました。
文学に聡く、誠実なお人柄で
恃みとするにたるお方でした。
意(おも)わざりき双珠、近く老蚌に出でんとは、と。
思ってもみませんでした。夷端殿の御子息、
お二人ともあのように優れた方であったとは。