老いてますますピリッとした意志の強さを持ち、それは他人とはくらぶべくもないものであった。
芥川龍之介が、『文芸的な、余りに文芸的な』の「第十七章 夏目先生」で夏目漱石のことを述べている中に出てきます。
第17章の全文を記載します。【老辣無双】は、最後の方に出ています。
僕はいつか夏目先生が風流漱石山人になつてゐるのに驚嘆した。僕の知つてゐた先生は
才気煥發する老人である。のみならず機嫌の惡い時には先輩の諸氏は暫く問はず、後進の
僕などは往生だつた。
成程天才と云ふものはかう云ふものかと思つたこともないではない。何でも冬に近い木曜日の夜、
先生はお客と話しながら、少しも顔をこちらへ向けずに僕に「葉巻をとつてくれ給へ」と言つた。
しかし葉巻がどこにあるかは生憎あいにく僕には見當もつかない。僕はやむを得ず
「どこにありますか?」と尋ねた。
すると先生は何も言はずに猛然と(かう云ふのは少しも誇張ではない。)顋を右へ振つた。
僕は怯(おづ)怯(おづ)右を眺め、やつと客閒の隅の机の上に葉巻の箱を發見した。
「それから」「門」「行人」「道草」等はいづれもかう云ふ先生の情熱の生んだ作品である。
先生は枯淡に住したかつたかも知れない。實際又多少は住してゐたであらう。が、僕が
知つてゐる晩年さへ、決して文人などと云ふものではなかつた。まして「明暗」以前にはもつと
猛烈だつたのに違ひない。
僕は先生のことを考へる度に【老辣無雙】の感を新たにしてゐる。が、一度身の上の相談を
持ちこんだ時、先生は胃の具合も善かつたと見え、かう僕に話しかけた。――
「何も君に忠告するんぢやないよ。唯僕が君の位置に立つてゐるとすればだね。……」
僕は実はこの時には先生に顋を振られた時よりも遙かに參らずにはゐられなかつた。