【災(わざわ)いを幸(さいわ)いとし、禍(わざわ)いを楽しむ】と訓読みされまして、他人の不幸を喜ぶことを言います。
【災】は、巛(水流が塞がれて溢れ流れることによる水害)+火(火による災害) から作られた会意文字で、
のちに全ての災いを表すようになりました。
【禍】は、示(神棚)+咼(音符号)から作られた形声文字で、わざわいを祓う儀礼を表す字でした。
『春秋左氏傳』僖公(キコウ)14年(B.C.646)の出来事です。秦が不作で、隣国の晋に穀物の援助を願いましたが、晋は断ってしまいました。
晋の大夫:慶鄭(ケイテイ)は、晋に穀物を支援すべき意見を述べましたが潰されてしまいました。
慶鄭曰,棄信背鄰,患孰恤之,
慶鄭曰く、信を棄て鄰(リン)に背(そむ)かば、患あるも孰(たれ)か之を恤(あわれ)まん。
慶鄭曰く、信義を行わず隣国にそむいては、
災難が起こっても、誰も憐れむものはあるまい。
無信患作、失援必斃。是則然矣。
信(シン)無ければ患(カン)作(おこ)り、援(エン)を失へば必ず斃(たふ)る。
是れ則ち然(しか)り。
信義が無いと災難が起こり、他国からの援助がなければ必ず亡びます。
今度のわが国のやり方がそれである。
虢射曰、無損於怨、而厚於寇、不如勿與,
虢射(カクセキ)曰く、怨(うら)みに損無く、而於寇(あだ)に厚くす。
與(あた)ふること勿(な)きに如かず、と。
(反対派の)虢射が言いました、穀物を送ったからと言って、我が国を怨んでいる秦の恨みを
減らすわけでもない。かえって秦を強くするだけだ。やらないにこしたことはない。
慶鄭曰、背施幸災、民所棄也。
慶鄭曰く、施(し)に背(そむ)き災(サイ)を幸(さいはひ)とするは、
民(たみ)の棄(す)つる所なり。
慶鄭曰く、恩に背き人の災難を喜ぶことは、民も見限って離れるものです。
近猶讎之、況怨敵乎。弗聽。
近きすら猶(な)ほ之を讎(あだ)とす。況んや怨敵(オンテキ)をや、と。聽(き)かず。
親近の者でも不徳としてにくむものです。ましてや敵国ならなおさらのことです。
慶鄭は役所をさがるとき、晋王はきっと後悔されることだろう、と言いました。