租税などをきびしく、容赦なく取り立てることを表す四字熟語です。
四字熟語としての【苛斂誅求】の出典は有りません。【苛斂】と【誅求】とそれぞれ別のところに出ていまして、成り立ちも別々の言葉ですが、同じような意味であることから、四字の熟語として用いられるようになりました。
【苛】は、①小さい草。②こまかい。③せめる、とがめる。④からい、むごい。の意味があります。
【斂】は、①おさめる、②かくす、③とりあげる。の意味があります。
【苛斂】は、きびしく租税を取り立てることを表す熟語です。
中国の歴史書、二十五史の内の十六番目『旧唐書:クトウジョ。唐の時代の歴史書』穆宗(ボクソウ)紀に、【苛斂】が出ています。
『憲宗(ケンソウ)、兵を用いるに、皇甫鎛(コウホハク)を擢(ぬきん)でて相(ショウ)となす。【苛斂】して下を剝(は)ぐ。人皆是を咎め、以て譴逐(ケンチク:とがめ追い払う)するに至る』
皇甫鎛が優秀な人だったので大臣にしました。しかし国民から、あまりにもきびしく租税を
取り立てたので、人は皆批難しました。皇帝は彼を馘(くび)にしました。
【誅】は、①せる、②罰する、③のぞく、④うつ、⑤ほろぼす、⑥ころす。の意味があります。
【求】は、①もとめる、②ねがう、③せめる。の意味があります。
【誅求】は、きびしく責めて求めると言うことから、租税または財貨を取り立てることを表す熟語です。
【誅求】は、『春秋左氏伝』の㐮公(ジョウコウ)三十一年(B.C.542年)のところに、鄭(テイ)という国の名宰相子産(シサン)の言葉として出ています。
『子産は言いました、手前どもの鄭国が小国で、大国にはさまれており、大国からの【誅求】は時を定めずに、のべつ幕なく行われていますので、全く落ちついていられません。 この度、貢物は残らずかき集めまして時節の挨拶にお伺いした次第です』
中国古典に記載されている限りにおいて、【苛斂】を行うとクビになって追放されます。総理大臣自らが【苛斂】を行う場合は、誰がクビにして追放するのでしょう。
【誅求】に至っては他国からの【誅求】であって、自国民を苛(いじ)めているわけではありません。