右を見たり左を見たりして、人の思惑やまわりのことばかり気にして決断をためらうこと。左眄右顧(さべんうこ)とも言います。
【顧】は、後方や過去をふりかえるという意味の「みる」。
【眄】は、流し目で見る、横目で見るという意味の「みる」。
【右顧左眄】の四字熟語が中国古典で最初に出てきた時は、【左顧右眄】とありまして右と左が逆でした。更に意味も、違ってました。どちらかと言うと、意味も逆のようでした。
【左顧右眄】の初出は、三国志の魏の詩人、曹植(ソウショク又はソウチ)が友人の呉季重(ゴキチョウ)に宛てた書簡文『呉季重に與(あた)ふるの書』です。曹植は曹操(ソウソウ:武帝)の第三子です。この書簡は、六朝時代に編まれた『文選』(モンゼン)に収められています。
この書簡は、朝歌(チョウカ)県の知事になった呉季重にたいして、曹植が送ったものです。
内容は、呉季重の姿を思い浮かべ、昔の宴席での楽しかったことや、呉季重の文章を褒め、朝歌県においてさらにみがきを掛け、立派な政治を行うよう望んだものでした。
【左顧右眄】はこの書簡で、昔の宴席での呉季重の様子を追想したくだりに出てきます。そこには
酒がたっぷりつがれ、笛が後ろから起こると、あなたはやおら立ち上がって舞い歌う。その様子は
䔥何(ショウカ)・曹参(ソウシン)などの前漢の豪傑も比較になりませんでしたし、
衛青(エイセイ)・霍去病(カクキョヘイ)などの前漢武帝の時代の猛將も見劣りしました。
【左顧右眄して、人無きが如しと謂ふ。豈(あに)、吾子(ゴシ)の壮志に非(あら)ずや】
あなたが左右を見回す様子は、傍(かたわ)らに人なきがごとしのように思われました。
なんと雄壮な志ではありませんか。
『書簡文』にありますように、【左顧右眄】が最初で、意味も、辺りを気にしてオドオドしている様子は微塵も無く、むしろ過去の英雄豪傑を凌(しの)がんばかりの堂々たる様子の描写に使われています。
いつ頃から、ビクビクして【右顧左眄】するようになったのでしょう。
類似の四字熟語
左顧右視(サコウシ)。 左視右瞻(サシウセン)。 左瞻右視(サセンウシ)。
左右傾側(サユウケイソク)。 首鼠両端(シュソリョウタン)。 左見右見(とみこうみ)。
二股膏薬(ふたまたコウヤク)。 右往左往(ウオウサオウ)。