盛唐(713年~765年)の詩人で詩聖と呼ばれる杜甫に『牽牛織女』と題する五言古詩がありました。杜甫55歳、亡くなる4年前の詩です。さぞかし浪漫溢れる詩なんだろうと、勢い込んで訳していきました。ちょっと違いました。
5言×18句から構成されていますが、
1句~4句 は、牽牛、織女ともに神様になったんだから、その気になればいつでも
会えるだろうに、わざわざ七夕のときだけというのは、・・・・・。
5句~11句は、女性が織女に肖ろうと、いろいろ準備に余念がない様子。
12句~18句は、女性は男性に仕えることが幸せなんだ、と言わんばかりの言い回し。
七夕に関係ないだろうに、・・・・・・。
私の理解不足と偏見かもしれませんが、ちょっと期待外れでした。
そんなわけで、口語訳は1句~4句までにしました。5句以降は読み下し分のみ記載しました。
1 牽牛出河西,織女處其東。
牽牛(ケンギュウ)河西(カセイ)に出(い)で、織女(ショクジョ)其の東に處(お)る。
牽牛星が天の川の西に現れ、織女星はその東にある。
2 萬古永相望,七夕誰見同
萬古(バンコ)永(なが)く相(あ)い望み、七夕(シチセキ)誰か同じくするを見ん。
大昔から向かい合っているが、七夕に並んで輝く光景を見たものはいない。
3 神光意難候,此事終蒙朧。
神光(シンコウ)意(つい)に候(うかが)い難く,此の事(こと)終(つい)に蒙朧(モウロウ)たり。
牽牛と織女の邂逅を見るのは難しいので、二人が七夕の夜に会うという話は疑わしい。
4 颯然精靈合,何必秋遂通。
颯然(サツゼン)として精靈(セイレイ)合(がっ)せん、何ぞ必ずしも秋に逢うを遂(と)げんや。
二人は神様なのだから、其の気になればいつでも会えるだろうに、
なんでわざわざ七夕の夜に限られるのだろう。
5 亭亭として新妝(シンショウ)立ち、龍駕(リョウガ)曾空(ソウクウ)に具(そな)う。
6 世人亦(ま)た爾(なんじ)が爲に,祈請(キショウ)して兒童走る。
7 家に稱(かな)いて豐儉(ホウケン)に隨い、白屋(ハクオク)より公宮(コウキュウ)に達す。
8 膳夫(ゼンブ)堂殿(ドウデン)に翊(つつし)み、玉を鳴らして房櫳(ボウロウ)に淒(セイ)たり。
9 衣を曝(さら)すは天下に遍(あまね)く、月に曳(ひ)かれて微風に颺(あが)る。
10 蛛絲(チュウシ)は小人の態(タイ)、曲(つぶさ)に綴(つづ)る瓜果(カカ)の中(うち)。
11 初筵(ショエン)重露(チョウロ)に裛(うるお)い、日(ひ)出(い)でて終わる所に甘んず。
12 嗟(ああ)汝(なんじ)未だ嫁(カ)せざる女(むすめ)、
心を秉(と)ること鬱(うつ)として忡忡(チュウチュウ)たり。。
13 身を防(ふせ)ぎて動くこと律(リツ)の如く、力を機杼(キチョ)の中(うち)に竭(つく)す。
14 舅姑(キュウコ)の事無しと雖(いえど)も、
敢(あえ)て織作(ショクサク)の功に昧(くら)からんや。
15 明明たり君臣の契(ちぎ)り、咫尺(シセキ)も或いは未だ容(い)れず。
16 義は禮法(レイホウ)を棄(す)つる無く、恩は夫婦の恭(うやうや)しきより始まる。
17 小大(ショウダイ)佳期(カキ)有り、之を戒(いまし)むること至公(シコウ)なるに在り。
18 方圓(ホウエン)苟(いやしく)も齟齬(ソゴ)するも、丈夫に英雄多し。