【物華(ブッカ)を玩弄(ガンロウ)す】と訓読みされまして、価値ある物に夢中になって、ただそれをもてあそんでいることを表している四字熟語です。
自然に親しみ、趣味に没頭するのも結構だけれども、そこから何か得るものがなければ、無意味なことである、というようなことを『菜根譚』の著者:洪自誠(コウジセイ)は言っています。
菜根譚(サイコンタン)は、前集222条、後集134条から構成されている随筆集です。
洪自誠は中国明代末期の人で、若い頃科挙の試験に合格して官界に進みましたが中途で退き、道教と仏教の研究に勤しんだと言われています。
前集は人の交わりを、後集では自然との楽しみを説いています。中国ではそれほど重んじられていないようですが、日本での人気は大変に高いようです。
栽花種竹、玩鶴観魚、
花を栽(う)え竹を種(う)え、鶴を玩(もてあそび)び魚を観(み)るも、
花を植え竹を育て、鶴を飼い慣らし魚を鑑賞するにも、
亦要有段自得処
亦(また)段(だん)の自得(じとく)する処(ところ)有るを要す。
何かの気付きが無ければならない。
若徒留連光景
若(も)し徒(いたず)らに光景に留連(りゅうれん)し、
もし、漫然と景色を眺めて外観に心を奪われていては、
玩弄物華、亦吾儒之口耳、
物華を玩弄せば、亦吾が儒の口耳(コウジ)、
価値ある物に夢中になって、ただそれをもてあそんでいるのは、
我々儒者のよく言う口耳の学、すなわち小人の学であり
釈氏之頑空而已。 有何佳趣。
釈氏(シャクシ)の頑空(ガンクウ)のみ。 何の佳趣(カシュ)か有らん。
仏教でいうところの、無いものにとらわれ拘る生き方、なのだ。
こんなことでは風流と言い難い。