一生に一度の出会いと思って、主人は心をこめて客をもてなすべきである、という茶道の心得を表したのが、そもそもの意味でしたが、一般的な出会いの際の心構えとしても使われるようになりました。
【一期一会】とまとまったときは、茶道の心得を表す言葉ですが、
バラバラにした
【一期:イチゴ】は、人の一生。
【一会:イチエ】は、①法会の集合。 ②悟り知ること。 ③茶事などの集まり。④一度会うこと。
などの意味をもってます。
【一期一会】は、
『あなたと会っているこの時間は、またとは来ない一度きりのものです。ですから、この時を大切にし、主人、客人ともに誠意を尽くすこと』と言う意味の、茶道の心得と言われています。
千利休の弟子:山上(やまのうえ)宗二(そうじ)の「山上宗二記:天正16年(1588年)」の中に【一期一会】そのものではありませんが、記載があります。「茶湯者の覚悟十体の事」に続く「また十体の事」に出てきます。
常の茶の湯なりとも、路地へ入るから立つまで、一期に一度の参会のように、亭主をしっして威(お)づべきとなり。公事の儀、世間の雑談、悉く無用なり。
常の茶会であっても、路地へ入ってから退出まで、生涯にただ一度限りの会と思って主人を尊敬して
敬うべきである。世間の雑談はすべてしてはならない。
時を経て270年後の安政5年(1858年)、桜田門外の変の2年前ですが、井伊宗観(彦根藩主井伊直弼の茶号)による茶書である『茶湯一会集:ちゃのゆいちえしゅう』に初めて、【一期一会】が出てきます。
チョット長いですけど読んでみて下さい。今から約150年ほど前の、しかも井伊直弼が書いた文章ですよ。亡くなる2年前です。
抑(そもそも)、茶湯の交会(こうえ)は、【一期一会】といひて、たとへハ幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたゝひかへらさる事を思へハ、実に我一世一度の会也、去るニより、主人ハ万事ニ心を配り、聊(いささか)も麁末(ソマツ)のなきよう深切実意を尽くし、客ニも此会ニまた逢ひかたき事を弁(わきま)へ、亭主の趣向、何壱(なにひと)つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るへき也、是を【一期一会】といふ。