So long as you can sweeten another’s pain, life is not in vain.
ヘレン・ケラー(Miss Helen Adams Keller)は1880年(明治13年)6月27日に米国南部・アラバマ州の小さな町タスカンビアで生まれました。
生後19カ月の時。猩紅熱の後遺症で視力と聴力を失ってしまいました。
ヘレンが7歳の時、家庭教師として当時21歳のアン・サリバン(Anne Mansfield Sullivan Macy、1866~1936)が派遣されてきます。
ヘレンは天賦の才を開花させ、米国の女子教育の名門であるラドクリフ大学に入学します。
卒業後マサチューセッツ州盲人委員会の委員を務め、婦人参政権運動・産児制限運動・公民権運動など多くの政治的・人道的な抗議運動に参加しました。また、著作家としても活躍しました。
ヘレンは、日本には1937(昭和12)年、1948(昭和23)年と1955(昭和30)年の3回来訪しています。とくに1948年の際は、敗戦で打ちひしがれた日本国民の熱狂的歓迎を受け、全国各地で講演して回りました。
1968年(昭和43年)6月1日、ウェストポートの自宅で逝去しました。87歳でした。
死後、日本政府から『勲一等瑞宝章』が贈られました。