空に漂う雲が、太陽を覆い隠してしまう、というのが文字通りの解釈です。
この【浮雲翳日】は
周(B.C.1020年頃~B.C.256年)から梁(A.D.502年~A.D.557年)までのすぐれた詩賦・文章を集めた『文選』に出ています。
『文選』は南朝梁の䔥統(ショウトウ:=昭明太子)の編集によるものです。その中で、古詩十九首として、作者不明の漢代の詩が掲載されています。その十九首の第1番目に五言×16句の詩がありまして、そこに【浮雲翳日】が詠われています。
浮雲 白日を蔽(おほ)ひ・・・・空に浮かぶ雲が、お日様を覆い隠すように、二人の間は隔てられ
遊子 顧返せず・・・・・・・・・旅を行くあなたは、私を思って帰って来てはくださらぬ。
と出ていますのが【浮雲翳日】の出典となっています。
この詩に対して
① 残された妻が遠くへ行った夫を思って詠った
② 16句の前半8句は、遠くへ行った夫の立場から、後半は家に留まっている妻の立場から
③ 主君から放逐された臣下が、遠くの地で詠った
などいろいろの解釈がなされています。
①、②は何かの事情で、離ればなれになってしまった夫婦に関して詠ったものです。
③については後漢の孔融(コウユウ) 『臨終詩』に
天窓(の光)、冥室(メイシツ)に通ず・・・・・天窓の光は、暗い部屋の中に導かれ、
讒邪(ザンジャ)公正を害し・・・・・・・・・・このご時勢 嘘や偽りの言葉ばかりもてはやされ
浮雲白日を翳(おお)う・・・・・・・・・・・・浮雲の様な奸臣が 太陽の光の様な帝の目をさえぎる
孔融は孔子の20代目の子孫といわれ、後に曹操(ソウソウ)に召し出されますが、曹操の怒りに触れ処刑されてしまいました。「臨終詩」は孔融の「辞世の作品」とされてますが、そうでないという説もあります。
【浮雲翳日】は、国民の事を、親身(しんみ)に考えていないと思われる政府が政権をとり、世の中が閉塞感で暗くなって来ていることを言っている、という解釈も可能かと思います。