【長者の万燈より貧者の一燈】でも知られています。たとえ少額でも眞心のこもった、ひとつの寄進のほうが、お金持ちのたくさんの寄進よりも尊いと言う喩えです。
『阿闍世王受決経』という経典の冒頭に出てくるお話です。
阿闍世(アジャセ)王が仏に供養の燈明をあげることになりました。阿闍世王は、お釈迦様が
生きていた頃のマガダ国の王様で父を殺したことを後悔して後に仏教に帰依した王です。
自分の罪を悔い改めるため、たくさんの燈明を仏のために燈しているようすを見て、
常日頃から仏に供養したいと願っていた老婆は、自分も燈明をあげようと思いましたが、十分な
お金がありません。
なけなしの二銭で麻油を二合買いました。事情を察した麻油店の主人が特に三合サービスして
くれました。五合の油で仏さまに燈明をあげて供養することができました。
その夜、いつになく強い風が吹き荒れました。翌朝、阿闍世王のあげた燈明は全て消えてしまい
ました。でも老婆の一燈だけは消えずに燈っていました。消そうとしても消えませんでした。
老婆は三十劫(サンジュウゴウ)ののちに須弥(シュミ)燈光如来(トウコウニョライ)になることの
証明を授けられたそうです。