【昨(きのう)は非(ヒ)にして、今(きょう)は是(ゼ)なり】と訓読みされまして、昨日までは誤りと思っていたことが今日は正しいと思える、という意味を表します。
中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋にかけての田園詩人:陶淵明の「歸去來兮辞:帰去来の辞」にある四字熟語です。
陶淵明(トウエンメイ:365年~ 427年)は、29歳の頃江州祭酒(校長先生)となったのを始めとして、いくつかの職につきましたが、41歳のとき、彭沢(ホウタク)県令(県の長官)になったのを最後に職を退きました。
『歸去來兮辞』は、職を退いて田園に生きる決意をしたときの詩です。
陶淵明の人生の転機となった時の詩であり、また田園詩人の面目が遺憾なく発揮されています。
60句より成る長編詩です。1句から8句を記載します。原文では、8句目に【今是昨非】となっています
1) 歸去來兮
帰りなんいざ
さあ帰ろう。
2) 田園將蕪胡不歸
田園 将(まさ)に蕪(あ)れんとす 胡(なん)ぞ帰らざる
田園は今や荒れ果てそうだ。帰らずにいられようか。
3) 既自以心爲形役
既に自ら心を以て形の役と爲(な)す
自分から敢えて心を体のしもべにしてきた、
4) 奚惆悵而獨悲
奚(なん)ぞ惆悵(チュウチョウ)として獨(ひと)り悲しまん
どうしてくよくよと一人悲しむのか
5) 悟已往之不諫
已往(イオウ)の諫(いさ)められざるを悟り
過ぎし日は取り返しがつかぬものと知ったが、
6) 知來者之可追
来者(ライシャ)の追ふ可(べ)きを知る
この先を追い求めることはできよう。
7) 實迷途其未遠
実に途(みち)に迷ふこと其(そ)れ未だ遠からず
まさしく道に迷ったもののまだ遠くへ行き過ぎてはいない。
8) 覺今是而昨非
今の是にして昨の非なるを覚る
今日が正しく、昨日が誤りであったと気が付いたのだ。