両親や親しい人の死を悲しむあまり痩せ衰えてしまうことを表した四字熟語です。
【哀】は、口+衣 からできた形声文字です。かなしい、あわれむ の意味があります。
【毀】は、ひざまずいている兒(子供)と、殳(打つ動作)からできた会意文字です。
こわす、やぶる、そしる の意味があります。
【骨】は、冎(ほねの形)+月(肉体)からできた会意文字です。
【立】は、大(人の正面形)+ 一(地面)からできた会意文字です。
【哀毀骨立】の四字熟語は、『世説新語』徳行に出ています。
西晋(265年~316年)武帝(司馬炎)の時、
王戎(オウジュウ)と、和嶠(ワキョウ)の臣下がいました。
二人とも同時に親の死に遭い、ともに立派に親の喪に服したとして褒められました。
王戎は(哀しみで)痩せ衰え、寝床でやっと体を支えているような状態でした。
和嶠は十分礼にかなって哭泣(コッキュウ)を行いました。
武帝は大臣の劉毅(リュウキ)に言いました、
「お前は王戎、和嶠を見舞ったか。和嶠が礼を超えて哀しんでいると聞いて、心配でならん」
劉毅は言いました、
「和嶠は礼に従っておりますが、気力は損なわれておりません。
王戎は礼を備へずと雖も、哀毀骨立す。
【王戎は礼に従っておりませんが、哀しみに痩せ衰えて、骨と皮だけになっております】
私が思うに、和嶠は生孝(セイコウ)で王戎は死孝(シコウ)です。
陛下、和嶠を憂えないで、王戎を憂えてください」
生孝:身体を損なうことなく、礼法に則って喪に服すこと。
死孝:生命身体を損なうほどに、死を悼むこと。
王戎は、父に対して親孝行であったため、瞬く間にやつれて、その様子は劉毅に「死孝」であると
言われるまでになり、身の安全を心配した武帝は、王戎に薬を与え医者にかからせました。