【何も有ること無しの郷】という意味で、何物も存在しない広々とした世界のことを言います。
理想郷のことを言います。出典は『荘子』逍遥遊(ショウヨウユウ)です。
荘子はいいました、
あなたは、狸牲(いたち)を見たことがありますか、姿勢を低くして、小さな獲物(えもの)に
ねらいをつけ、あちこちと跳びはねて高い所へも低い所へもゆくけれども、結局は機辟(わな)に
中(はま)り、罔罟(あみ)にかかって殺されます。
ところであの釐牛(からうし)は、その大きいことはまるで空いっぱいに広がった雲のようで、
とても大きいけれど、小さな鼠(ねずみ)をつかまえることはできません。
今子有大樹、患其無用、
今、子に大樹ありてその無用を患(うれ)う。
今、あなたのところに大木があって、使い道がない、とご心配のようですが、
何不樹之於無何有之郷、廣莫之野、
何ぞこれを無何有(ムカユウ)の郷(キョウ)、広漠(コウバク)の野(ヤ)に樹(う)え、
それを誰もいない曠野の真中に立てて、
彷徨乎無為其側、
彷徨乎(ホウコウコ)として其の側(そば)に無為(ムイ)にし
そのまわりで、好きなように休み
逍遙乎寢臥其下。
逍遥乎(ショウヨウコ)として其の下に寝臥(シンガ)せざる。
その木陰でのんびりと腹這いになって眠るということを、どうしてなさらないのですか。
つまり物はさざまですから用い方もそれに従うべきです、と荘子は言いたかったようです。
昨日で朝日新聞に連載されていました『吾輩は猫である』も最終回でした。その猫の中に【無何有郷】が使われていました。