国中で他と比べる者のいない、すぐれた人物、人材のことをいう四字熟語です
【国士無双】の出典は、『史記・淮陰侯(ワイインコウ)列伝』です。淮陰侯と言うのは、「背水の陣」、「韓信の股くぐり」で知られている韓信です。
韓信は、漢の高祖劉邦(リュウホウ)の覇業(ハギョウ)に少なからぬ貢献をし、軍師の張良(チョウリョウ)、丞相(ジョウショウ)の蕭何(ショウカ)と共に三傑と呼ばれていました。「百万の軍を連ね、戦えば必ず勝ち、攻めれば必ず城を取る、わしは韓信には及ばない」と劉邦に言わしめたほどの人物でした。
韓信は、はじめ項羽(コウウ)に属していましたが、献策しても項羽がとりあげなかったので、項羽を見限り、漢軍に投じました。部将の夏侯嬰(カコウエイ)に認められ、治粟都尉(チゾクトイ:穀物、貨幣を管理する職務)に推挙されました。丞相の蕭何とも知りあいになりました。蕭何は韓信の才能を見抜き、ひそかに期待をしていました。
漢王の元年(B.C.207)、都を南鄭(ナンテイ)に遷すとき、十数名の諸侯が逃亡する事件がありました。自己の才能に自負することの大きかった韓信は、治粟都尉では満足できず、あいつぐ逃亡兵にまじって、韓信も逃げだしてしまいました。
韓信逃亡の報せに、蕭何は劉邦に告げる間もなく後を追いました。それを見たある人が
「丞相の蕭何が逃げました」と劉邦に報告しました。劉邦の怒りは並のものではありませんでした。
ところが、二日ばかりたって、蕭何は帰ってきました。
「何故、逃げた」
「逃げたのではありません、逃げた者を追いかけたのです」
「誰を?」
「韓信です。」
「韓信?いままでに、諸侯で逃亡した者は十数名を越える状態だ。お前はそのうちの一人だって追いかけたことがあるのか? 名もない韓信にかぎって追いかけたとは。嘘をつくな!」
「いままで逃亡した諸侯ぐらいの人物でしたら、いくらでも見つけ出せます。
韓信は国士無双と称すべき人物です。
殿が、巴蜀(ハショク)の地だけで満足なさるのでしたら、韓信という人物は必要ありません。
殿が、天下を望まれるのでしたら、韓信は是非とも必要です。側に置いておかなければいけません。
韓信が必要か否かは、殿!あなた次第です」
その後、韓信は大将軍と成り、中国統一の一翼を担うことになりました。