【意を得て言を忘る】と訓読みされまして、
事の本質を理解したなら言葉で表現しなくてもよい、だが言葉にとらわれて本質を理解していない人がなんと多いことか。『荘子』外物篇にある言葉です。
筌者所以在魚
筌(セン)は魚を在(い)るる所以(ゆえん)なり。
筌(やな)は魚を獲えるためのものであるが、
得魚而忘筌
魚を得て筌を忘る。
魚が獲れたら『やな』の事は忘れてしまう。
蹄者所以在兎、
蹄(テイ)は兎を在るる所以なり、
蹄(わな)は兎を獲るためのものである。
得兎而忘蹄
兎を得て蹄を忘る。
兎が捕まったら蹄(わな)のことは忘れてしまう。
言者所以在意
言は意を在るる所以なり、
言葉は意味を相手に通じさせるためのものだ、
得意而忘言。
意を得て言を忘る。
言わんとする本質がわかれば言葉は忘れてしまってもよい。
吾安得夫忘言之人、
吾れ、安(いず)くにか夫(か)の言を忘るるの人を得て、
私は、あの言葉を忘れることのできる人(世界の本質を把握した人)を、
どこかで探し出して、
而與之言哉。
之(これ)と与(とも)に言わんや。
ともに語りあいたいものだ。