仏教、特に禅宗の言葉で、【雑念を捨てて、ただひたすら座禅すること】です。
【只管】は、シカンと読みます。意味は、ただひたすら、となります。
【打坐】は、タザと読みます。意味は坐ることです。この場合は座禅をすることになります。
坐は「すわる」という動詞、座は「すわるところ」という名詞として使われるのが本来です。
【打】は、動詞の前につく助字です、ですから【打坐】となります。
【只管打坐】の出典は 『長円寺本:正法眼蔵随聞記:ショウボウゲンゾウズイモンキ』です。
仏子(ブッシ)と云(いふ)は仏教に順じて直(じき)に仏位(ブツイ)に到る為なれば、
只(ただ)教(おしえ)に随(したがひ)て工夫弁道(クフウベンドウ)すべきなり。
其の教に順ずる実の行(ギョウ)と云は即今の叢林(ソウリン)の宗とする只管打坐なり。
是(これ)を思ふべし。
道元『正法眼蔵』研究者:駒澤大学名誉教授水野弥穂子さんの訳です。(ちくま学芸文庫)
仏弟子というものは、仏の教えに従って、直接に仏の位に至ろうとするのであるから、
そのためには、ただ教えに従って一生懸命、仏道に力を致すべきである。
その教えに従う真実の修行というのは、すなはち、今のこの修行の道場が第一とする
【只管打坐】である。
よくよくこれを考えよ。