【暴(ボウ)を以(もっ)て暴に易(か)へ】と、訓読みされまして、(武王の)暴力で、(紂王の)暴力にとってかわる、という意味です。史記『伯夷列伝』を出典とする言葉です。
【易】は、「エキ」と読みますと「かえる」の意味になります。「貿易:ボウエキ」
「イ」と読みますと「やさしい」の意味になります。「簡易:カンイ」
その、史記列伝70巻のトップが『伯夷列伝』です。実際には伯夷(ハクイ)と叔齊(シュクセイ)の兄弟のお話が記されています。
周の武王が武力を以て殷を討とうとしたのを、伯夷・叔斉は非暴力の立場から諌めました。
しかしその声が聞き入れられなかったので、伯夷・叔斉は周に住むことを潔しとせず、
首陽山に隠れ薇(ぜんまい)を摘んで命をつなぎ、終には命を絶やすことになりました。
その死に臨んで作ったというのが以下の『采薇歌:サイビのうた』です。
登彼西山兮、采其薇矣。
彼の西山に登りて、其の薇を 采る。
あの西の山に登って、ゼンマイを採取する。
以暴易暴兮、不知其非矣。
暴を以て暴に易へ, 其の非を知らず。
武王の暴力で、紂王の暴力にとってかわる。それが仁に悖(もと)ることが分かってない。
神農、虞、夏、忽焉沒兮、
神農虞夏、忽焉(こつえん)として 沒し,
(古代中国の理想政治を行った聖天子は、)たちまちいなくなった。
吾安適歸矣
吾 適(まさ)に 安(いづ)くにか 歸らんとす
わたしは、どこに帰っていけば、よいのだろう。
吁嗟徂兮、命之衰矣
吁嗟(ああ) 徂(ゆ)かん, 命(めい)の 衰へたるかな
ああ、行こう。運命も衰えてしまったものだ。