激しく怒り、歯ぎしりして悔しがることを表す四字熟語です。
【切歯】は、歯ぎしり、歯をくいしばることを表します。
【扼腕】は、自分の腕を握りしめることを表します。
【切歯扼腕】は、『史記』の「張儀(チョウギ)列伝」と「刺客(シカク)列伝」に出ています。
「張儀列伝」の方は、張儀が魏の哀王(アイオウ:B.C.318~B.C.296)に連衡(レンコウ)策で秦と講和することを勧めているところで【切歯扼腕】が使われています。
合従(ガッショウ)を説く者には大言壮語(タイゲンソウゴ)する者が多く、信用できません。天下の遊説の士は、日夜、扼腕し、目を怒らせて切歯し、合従のよさを言い立てて、君主を説得します。君主がその弁舌に心ひかれますと、どうしても迷わざるをえません。合従説を何度も聞いているうちには、もっともだと思われるでしょう。よくお考えの上で決断なさって下さい。私、張儀はしばらく魏を去ります。
最終的には、張儀を通じて秦と講和することになりました。
「刺客列伝」には凄絶(セイゼツ)な、命がけの【切歯扼腕】が出ています。
燕(えん)の太子、丹(タン)は秦の人質でしたが、脱出して燕に帰り、秦王政(セイ)の暗殺を企てます。それに選ばれたのが荊軻(ケイカ)です。荊軻は、秦の将軍で燕に亡命していた樊於期(ハンオキ)の首と燕の肥沃な土地の地図とをもって、秦王に近づき、隙を見て刺殺(シサツ)する方法しかないと考え、樊於期にこの計画を話したところ、樊於期は
偏袒(ヘンタン:肌脱ぎ)、搤捥(ヤクワン:腕組み)して進みて曰く、
「これ臣の日夜、切齒腐心(セッシフシン:歯ぎしりして深く思慮)するところなり」と。
遂に自剄(ジケイ:自ら首を切断)す。
樊於期は、片肌脱いで腕を強く握りしめて、進み出て言いました
『これこそわたしが日夜歯ぎしりして心を砕いてきたところだ』 と
自分で剄(くびは)ねました。
こうして荊軻は樊於期の首と地図とをもって、秦王に近づくことに成功しましたが、もう一歩のところで政を打ち損なった。と、『史記』の「刺客列伝」が伝える【切歯扼腕】でした。