人の本来の性は悪であるから、善になるためには、意識して学ばなければいけない。
という荀子の「性悪説」です。出典は『荀子』性悪篇です。
人之性悪、其善者偽也。
人の性は悪なり、其の善なるものは偽(ゐ:為)なり。
人間の生まれたままの本性は必然的に悪という結果をもたらすものであって、
それが善であるということは、人為的努力を加えた結果である。
今人之性、生而有好利焉。
今人の性、生まれながらにして利を好むこと有り。
今 人の性を考えてみると、生まれながらにして利益を好むところがあり、
順是、故爭奪生、而辭讓亡焉。
是(これ)に順(したが)ふ、故に争奪生じて、辞譲(ジジョウ)亡(ほろ)ぶ。
この本性に従うがために、人と争い奪い合う事となって、譲るという事がなくなってしまう。
生而有疾悪焉。
生まれながらにして疾悪(しつお)すること有り。
生まれながらにして憎悪の心がある。
順是、故残賊生、而忠信亡焉。
是に順ふ、故に残賊(ザンゾク)生じて、忠信(チュウシン)亡ぶ。
この本性に従うがために、人を損ない傷つけることが生じ、誠意がなくなってしまう。
〈〈 途中 省略します 〉〉
然則従人之性、順人之情、
然(しか)れば則(すなは)ち、人の性に従ひ、人の情に順(したが)へば、
人の生まれつきの性のままに従い、情のままに応じていくと、
必出於争奪、合於犯文乱理、而帰於暴。
必ず争奪に出(い)で、犯文乱理(ハンブンランリ)に合(がっ)して、暴に帰す。
必ず争奪が起こり、分限を犯し、秩序が乱れた状態になってしまい、混乱状態に陥る。
故必将有師法之化、礼義之道、
故に必ず将(は)た師法の化、礼義の道(みち)有りて、
だからこそ必ず、正しい導き手や礼儀の導きがあって
然後出於辭讓、合於文理、而帰於治。
然(しか)る後に辞譲に出(い)で、文理に合して、治に帰す。
そののちに(はじめて)他人と譲り合い、筋道にかない、
(世の中が)治まることになるのである。
用此観之、
此(これ)を用(も)つて之(これ)を観(み)れば、
こうしてみると、
然則人之性悪明矣。
然れば則ち人の性の悪なること明らかなり。
人間の本性がそのままでは、悪であることは明らかであって、
其善者偽也。
其の善なる者は偽(ゐ:為)なり。
そしてそれが善であるということは、まさに人為的努力を加えた結果である、