誠意をもって励まし合うという意味です。
【切】は、「きる」と言う意味で使われることが多いのですが、「しきりに・・・する」としての意味もあります。
なぜ「親を切る」のを「しんせつ」と言うのですか、と聞かれたことがあります。これは「しきりに親しむ」と言う意味として使われているのですと答えました。
【切切】は、この【切】の「しきりに・・・する」が強調されて「ていねいに」と言う意味で使われます。
【偲】は、励ましあう、かしこい、つよい、と言う意味があります。また漢字の原義(元の意味)をはなれて、和語の読みをあてる場合があります。これを国訓(コックン)といいます。【偲】を「しのぶ」と読むのはまさにこの「国訓」です。
【切切偲偲】は叮嚀(テイネイ)に、親切に励まし合うと言う意味になります。この四字熟語は『論語・子路(シロ)』篇に出てきます。
〈読み下し文〉
子路、問いて曰く、何如(いかん)ぞ斯(すなは)ち、これを士と謂うべき。
子曰く、切切偲偲(セツセツシシ)、怡怡如(イイジョ)たるは、士と謂うべし。
朋友(ホウユウ)には切切偲偲、
兄弟(ケイテイ)には怡怡如たり。
〈私 訳〉
子路が孔子に訊ねました、「どういうのを、立派な大人と言うんでしょうか。」
孔子が言いました、「誠意をもって励ましあって、にこやかに和らいでいれば、立派な大人と言えるよ。
友達には誠意を持って、努め励ましあうこと、
兄弟にはにこやかに和らぐこと」
子路はお弟子さん達の中でも、特に義侠心が強く、理論よりは直接感情に響くような表現が、子路の耳には入りやすかったのでしょう。それで孔子は、【切切】とか【偲偲】とか【怡怡】と言ったような擬態語を並べて答えました。
「公的な同僚としての付き合いでは、誠意をもった助け合いと励まし合い、私的な仲間づきあいでは兄弟のような気楽で楽しい間がら」という意訳もできます。