【天道 諂(うたが)わず】と訓読みされまして、
天の道には偽りがなく、善人には幸福を、悪人には災いをもたらす、という意味を込めています。
出典は『春秋左氏傳』昭公二十六年です。
春秋時代、紀元前516年、齊の國で彗星の流れが見られたので、景公がお祓いをさせようとしました。
その時、晏嬰(アンエイ)がお祓いは無益であり、景公が徳を修めるべきである、と説いた中の言葉です。
齊有彗星、齊侯使禳之。
齊に彗星有り、齊侯之を禳(はら)は使(し)む。
齊に彗星が現れた。齊侯がお祓いを命じた。
晏子曰、
晏子曰く、
晏子が言いました
無益也、祇取誣焉。
益無きなり、祇(た)だ誣を取るのみ。
無駄なことです。ただ騙されるだけです。
天道不諂、不貳其命。
天道は諂はず、其の命を貳(ふた)つにせず。
天道は確固として動揺しないものです。
若之何禳之。
之を若何(いかん)ぞ、之を禳(はら)はんやと。
祓ってみても仕方ありません。
2月11日は「建国記念の日」です。日本国が建国された日ではありません。「建国記念を祝う日」です。
その昔、国史を編纂するにあたり、聖徳太子は古代中国の予言である讖緯(シンイ)説を用いて日本の建国を決めることにしました。
「天が命をあらため、王朝をたてる」年、それは「辛酉(シンユウ)革命」という考え方です。
60年ごとにめぐってくる辛酉の年の21回目、すなわち 60×21=1260年を単位として歴史的大事件がおこる。
聖徳太子の時代からみて日本国における歴史的大事件といえば日本の建国です。
聖徳太子が斑鳩に宮殿を立てたのは推古天皇の9年(西暦601年)で、ちょうどこの年が辛酉の年でした。
それで、推古天皇の9年を21回遡った辛酉の年を日本国が建国された年であると決めました。
西暦に直しますと紀元前660年となります。この年を神武天皇即位の年と決めました。皇紀元年です。
ですから今年は皇紀何年ですか、という問い合わせがあったとしましたら、その年の西暦に660を足せばいいのです。2017年は、皇紀2677年となります。
明治になってから皇紀元年の正月朔日(ついたち)を日本国の建国日としました。
太陽暦に換算しますと2月11日です。紀元節として奉祝されてきましたが、戦後廃止されていました。
昭和41年に「建国記念の日」として復活しまして、今日にいたりました。