一つの文字、一つの言葉という意味です。同じような語、【一字】、【一句】を連ねて意味を強調しています。
【一字一句】は、書き言葉。【一言一句】は、話し言葉について言われることが多いようです。
『吾輩は猫である (八)』の中での【一字一句】です。
一字一句の裏(うち)に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、その一字一句が層々連続すると
首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話(サダンセンワ)と思ってうっかりと読んでいたものが
「忽然(コツゼン)豹変(ヒョウヘン)して容易ならざる法語となるんだから、決して寐ころんだり、
足を出して五行ごと一度に読むのだなどという無礼を演じてはいけない。
柳宗元(リュウソウゲン)は韓退之(カンタイシ)の文を読むごとに薔薇(しょうび)の水で手を清めた
という位だから、吾輩の文に対してもせめて自腹で雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に
合わすという不始末だけはない事に致したい。
これから述べるのは、吾輩自ら余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんに極っている、
読まんでもよかろうなどと思うと飛んだ後悔をする。是非しまいまで精読しなくてはいかん。
瑣談繊話(サダンセンワ): つまらないこまごました話という意味です。
法語:祖師や高僧が仏の教えをわかりやすく説いた文章。
柳宗元(リュウソウゲン):中唐の詩人・文章家。唐宋八大家のひとり。
韓退之(カンタイシ):韓愈(カンユ) 中唐を代表する文人。唐宋八大家のひとり。