【蝕】は「食」と「虫」から出来た会意文字です。食べ物が腐敗して虫がわく状態を表す字として作られました。またその意味が変化して、物が虫食い状態になることも【蝕】の字で表します。
太陽や月が欠けていくことを、虫食い状態のように見て【蝕】の字が使われます。【蝕】の部首は虫です。現代表記では「食」に書きかえることがあります。
日本での一番古い日蝕記録は日本書紀の第二十二巻「豊御食・炊屋姫・天皇:とよみけ・かしきやひめ・の・すめらみこと」の三十六年のところに記載があります。豊御食炊屋姫天皇は推古天皇のことです
推古天皇の三十六年は西暦628年です。その年の出来事として
二月二十七日 天皇(すめらみこと)、臥病(みやまひ)したまう。
天皇が病に臥(ふ)しました。
三月二日 日、蝕(は)え盡きたること有り。
日が蝕(むしば)まれました。
三月六日 天皇、痛みたまふこと甚だしくして、諱(い)むべからず。
天皇が薨去(コウキョ)なされました。【諱むべからずは、忌み避けることが
できないと言う意味で、死をいいます】
皆既日食ではなく、9割以上か掛ける部分日食のようです。かなり薄暗くなったのでしょう。記述は何か暗示的なものを匂わせているように読みとれます。
中国での一番古い日蝕記録は、『詩経』の中にありました。
『詩経・小雅(ショウガ)・節南山(セツナンザン)』の十月之交(ジュウガツシコウ)という詩の中に出てきます。
十月の交(コウ)、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・九月と十月の交わり合うとき
朔月(サクゲツ)辛卯(シンボウ) ・・・・・・・・・・・・・十月はじめの辛卯の日
日、之(これ)を蝕する有り、 ・・・・・・・・・・・・・・・日蝕があり
亦(また)、孔(はなは)だ之(こ)れ醜(あ)し。 ・・・・・これは本当に悪いことである。
この詩に詠われている日蝕がいつ頃のことかは諸説あるようですが、だいたい紀元前8世紀頃、西周が厲王・宣王・幽王と衰退に向かう頃と言われています。
大昔、日蝕は不吉の兆しであり、忌わしく悪いことであり、政治に咎(とが)があった時に起こると考えられていたようです。
あくまでも大昔の話です。現代の日本を言っている訳ではありません。