【唇を焦(こ)がし舌を乾(かわ)かす】と訓読みされまして、唇や舌が乾くほどに苦労することを言います。また大いに言い争うことの喩にも使われます。
B.C.494年 越王句踐が呉王夫差を攻めました。句踐は夫椒山(フシュクザン)で撃破され会稽山に籠りますが、夫差に包囲されて降伏しました。
史記の『仲尼弟子列伝』で子貢が活躍する場面があります。
呉越の戦いで越王句踐のところへいったときの句踐の吐露のなかで【焦唇乾舌】が使われました。
句踐、再拝して曰く、
越王句踐は頭を地につけ、再拝して言いました。
孤は嘗て力を料らず、乃ち呉と戦ひて、
孤(わたし)は、嘗(かっ)て、自分の力量を考えもせずに呉と戦い、
会稽に困し、痛み骨髄に入り、
(破れて)会稽におしこめられ、痛恨の情は骨髄に徹している。
日夜、脣を焦がし舌を乾かし、
(それからというもの)日夜、脣を焦がし舌を乾かして思い悩み、、
徒だ呉王と踵を接して死なんと欲す。
ただ呉王を殺して自分も死のうと思っています。
孤の願いなり、と。
これが私の願いです。