【備(そな)え有れば患(うれ)い無し】と訓読みされまして、日頃から気をつけて準備しておけば、心配いらないという意味です。「患」は「うれえる」が最初の意味で、派生した意味として「わずらう」に使われているようです。
佐藤一斎先生『言志晩録』113條の内容ですが、後半の『知らず、当今 諸蛮君長(ショバンクンチョウ)の人物果して何如(いかん)を。・・・・・・・・・』の部分は、米国を含めた周辺国と日本のことを言っているような氣がします。
英傑は非常の人物にして、固(も)と不世出(フセイシュツ)たり。
英雄豪傑は非凡の人物であって、滅多に世にでないものである。
然れども下位に屈して志を得ざれば、則ち其の能を肆(ほしいまま)にする能わず。
然し、このような非凡の人物でも、低い位にいてその志を伸ばすことが出来なければ、
其の才能を十分に発揮することができない。
幸に地位を得(う)れば、則ち或は遠略を図ること、古今往々に之れ有り。
幸いにして、立派な地位を得るならば、遠大な経略を計画し、達成させる。、
その事は古今にしばしば見られる。
知らず、当今 諸蛮君長(ショバンクンチョウ)の人物果して何如(いかん)を。
ところで、現在、諸外国の君長たちは果してどんな人物であるかわからない。
思うに彼等が如何なる人物であろうとも、
蓋し備(そなえ)有れば患(うれい)無し。
平素、自分の方に準備がしてあれば、(周辺国がどんな馬鹿なことを仕掛けようが)
何ら心配することはない。
我れは惟(た)だ当に警(いましめ)を無事の日に致すべきのみ。
わが国に於いては、ただ無事泰平の時に警戒を怠(おこた)ってはならない。