人まねをすれば、そうなれるんじゃないかと思い、やっているうちに、本来の自分を忘れて、両方とも失ってしまうことのたとえです。
『荘子』秋水に出ているたとえ話です。
戦国時代、燕の寿陵(ジュリョウ)の若者が、趙の都邯鄲へ行って都会の歩き方を学ぼうとしたが、なかなか覚えられず、そのうちもとの自分の歩き方も忘れてしまい、這(は)って故郷へ帰ったというお話です。
且子獨不聞夫壽陵餘子之學行於邯鄲與。
且(か)つ子(シ)は独(ひと)り夫(か)の寿陵の余子(ヨシ)の行(あゆ)みを邯鄲に学びしを
聞かざるか。
それに、君は、あの寿陵の町の若者が趙の都の邯鄲まで出かけて行って、
そこの歩き方を学んだという話を聞いたことはないかね。
未得國能、又失其故行矣。
未だ国能を得ざるに、又其の故(もと)の行みを失なう。
彼はその国のやり方を会得できないうちに、そのもとの歩き方も忘れてしまったので、
直匍匐而歸耳。
直(た)だ匍匐(ホフク)して帰るのみ。
四つん這いになって帰るほかなかったという。