【病(やまい)、膏肓(コウコウ)に入る】と訓読みされます。不治の病にかかること。病気が重くなって治療が出来なくなることの喩(たとえ)に使われます。このことから趣味や悪癖などに、のめり込んでしまう喩にも使われます。
【膏肓(コウコウ)】の【肓(コウ)】の字を【盲(モウ)】と誤って、【病、膏盲(コウモウ)に入る】と読むことがあるようですが、これは間違いです。
この話は、『春秋左氏伝・成公十年』のところにあります。
春秋時代、晉(シン)の景公(B.C.599~B.C.581)が病気になり、秦の国の名医に診て貰おうと、派遣を依頼しました。
秦の桓公(カンコウ)は緩(カン)という医師を遣わして治療に当らせることにしました。
緩がまだ着かないうちに、景公は病気が二人の童子となって話し合う夢を見ました。
一人が
「緩は名医だから、こちらがやられそうだ。どこに隠れよう」
と言うと、もう一人は
「膏(心臓)の下、肓(横隔膜)の上にいれば大丈夫だよ」
と言いました。
医者は着くなり、
「この病気は治療できません。膏(心臓)の下、肓(横隔膜)の上の病位は、灸(キュウ)も使えませんし、針も届きません。、薬も効きませんので、治療はできません」
と言ったので、景公は
「名医である」
と言って、手厚くお礼をして秦に帰らせました。
数ヵ月後、残念ながら景公は亡くなりました。
内田魯庵(1869~1929)の『社会百面相』に
「君達の大好物な道徳こそ頗(すこぶ)る非常な大害がある。君達はすでに道徳中毒症を起してるからお気がつくまいが、殷鑒(インカン)遠からず、すでにお隣の支那や朝鮮は道徳の病膏肓に入って全国麻痺しおる」
と使われていました。
尚 文中の「殷鑒(インカン)遠からず」は、今日の四字熟語 No.148【殷鑒不遠】を参照してみてください。