【聲聞(セイブン)情(=實;ジツ)に過ぐる】と訓読みされまして、
評判が、実際の価値以上に高いことを言います。
『孟子』離婁(リロウ)下にでている言葉です。
苟爲無本、
苟(いやしく)も本なから爲(し)めば、
もしも水源がなかったら
七八月之閒雨集、
七八月之閒、雨集(ふ)り、
七八月の頃に雨が降り続くと
溝澮皆盈、
溝澮(コウカイ)皆盈(み)つるも、
田圃の大きな溝、小さな溝は忽ちいっぱいになるが、
其涸也可立而待也、
其の涸(か)るるや、立ちて待つべきなり。
いざ降りやめば、立ちどころに涸れはててしまうものだ。
故聲聞過情、
故に聲聞(セイブン)情(ジツ)に過ぐるは、
だから、実際以上に盛んな空(から)評判は水源のない水と同様、
決して長続きはしないものです。
君子恥之。
君子、之を恥ず。
(ですから)立派な為政者はこれ(空評判)を恥として嫌うのです。