デキムス・マグヌス・アウソニウス(310年~393年頃)は、帝政ローマ末期の著述家。
310年 ガリア(現フランス)のボルドーの医者の家に四人兄弟の次男として生まれた。
幼少からラテン語とギリシア語の勉強を始め、トゥルーズで学問を修めた後、ボルドー市で
教師となる。教師としての傍ら弁護士の仕事もこなした。
結婚して3人の子供をもうけたが、妻には若くして先立たれ、長男を幼くして亡くすという
不幸はあったが、50代後半大きな転機が訪れた。
367年(57歳) ウァレンティニアヌス1世の息子グラティアヌスの教師を務める。
375年(65歳) グラティアヌス皇帝即位。アウソニウスもローマ帝国宮廷に出入りを許され、ガリア長官・
コンスル(執政官)等々の要職を歴任した。
アウソニウスの息子や娘婿もアフリカ属州長官などに栄達した。
383年(73歳) グラティアヌス帝、リヨンにて暗殺される。
グラティアヌス帝の死後は帰郷し、サン・テミリオン近郊で詩作と著述に専念した。
393年(83歳) 亡くなるまで著述活動を行っていた。
アウソニウスが亡くなった2年後の395年に帝政ローマ帝国は東西ローマ帝国に分裂しました。