【賢を避けて聖を楽しむ】と訓読みされまして、濁酒を避けて清酒を楽しむという意味です。
賢は濁酒、聖は清酒の事です。
三国時代(220年~280年)、魏の太祖(曹操)のとき禁酒令が出されました。
呑兵衛たちが禁を犯して飲むときの隠語として用いられました。
杜甫の『飲中八仙歌』に名前があがっている唐代の八人の酒豪の一人、
李適之(リテキシ)の『罷相作詩:相を罷(や)めて作るの詩』を出典としています。
この詩は、【賢】を賢人(要注意人物のこと)に喩え、【聖】を聖人に喩えています。
避賢初罷相 賢を避けて初めて相を罷め
賢人のために、自分は出世の道筋を避ける。
(腹黒い陰謀を避けるという意味を含んでいます)
樂聖且銜杯 聖を楽んで且(しば)らく杯を銜(ふく)む
聖人の道を楽んで、一杯やるか。
爲問門前客 為に問う 門前の客
ところで、お客さんは誰。
今朝幾箇來 今朝(コンチョウ)幾箇(いくたり)か来る。
今日は何人だい。
『飲中八仙歌』の李適之です。
左相日興費万錢 左相(左丞相であった李適之) 日興(ニッキョウ) 万錢を費す
左相は毎日の遊興に万銭を使う。
飲如長鯨吸百川 飲むこと長鯨(チョウゲイ)の百川(ヒャクセン)を吸ふが如し
飲みっぷりは長鯨が百の川を飲み干す勢いだ、
銜杯樂聖稱避賢 杯を銜み聖を樂しみ賢を避くと稱す
清酒を楽しんで濁酒を遠ざけるのだと嘯(うそぶ)く