実力を発揮する機会に恵まれないことを嘆いた喩です。
なにもしないでブラブラ日々を過ごすことの嘆きをいいます。
【髀肉】は、ももの肉、「嘆」はため息をついて嘆く意。「髀」は「脾」、「嘆」は「歎」とも書きます。
『十八史略』巻三/東漢篇より
ある時、劉備は劉表の座敷で話していたが、ふと起ち上がって厠(かわや)に行きました。
還ってくると嘆きながら涙を流すので、劉表が不思議に思ってそのわけを尋ねると、
劉備が答えました。
常時身不離鞍、髀肉皆消。
常時、身鞍(くら)を離れず、髀肉皆消ゆ。
これまではいつも(戦場を往来して)この身が鞍を離れることはなかったから、
股の内側の肉が(引き締まって)すっかり落ちていたが、
今不復騎、髀裏肉生。
今復(ま)た騎(の)らず、髀裏肉生ず。
(しかし)いまは久しく馬に乗ることがないので、股の裏にぜい肉がつい来ました。
日月如流、老将至、功業不建。
日月流るるがごとく、老いの将(まさ)に至らんとするに、功業建たず。
月日が流れるように去り、老いもせまってきているのに、
(私は)何の功業もあげていません。
是以悲耳。」
是を以て悲しむのみ、と。
だから悲しんでいるのです。