【始め無く終わり無し】と訓読みされまして、天地の存在が永遠に不変であることを言います。
『荘子』知北遊篇に、孔子の弟子・冉求(ゼンキュウ)が、孔子に天地創造を尋ねた件があります。
未有天地可知邪
未だ天地あらざるとき、知るべきか、と。
まだ天地がなかったときのことが分かりましょうか。
仲尼曰、可、古猶今也。
仲尼 曰く、可なり、古えは猶お今のごときなりと。
仲尼(孔子のこと)は言いました、
わかるよ。昔も今と同じようなものだ。
無古無今、無始無終。
古(いにし)えなく今なく、始めなく終りなし。
昔もなければ、今もなく、始めもなければ終わりもない。
(というのが、真実の姿だ)
未有子孫而有子孫可乎
未だ子孫あらずして、而(しこう)して子孫あるは、可ならんやと。
もともと子や孫がいなかったのに、のちに子孫がいるというのは、
まともな話だろうか。
(天地についても、昔はなかったのに、今はあるというようなことは、
絶対ないはずだ)
天地には、昔とか今とか始とか終わりといったものはない。
孔子も荘子もそう思っていたようです。