【邇(ちか)きに在(あ)りて遠(とお)きに求む】と訓読みされます。この文章の前に【道は】という言葉が先行されてます。人の踏み行うべき道は、すぐそばにあるのに、人はどこか遠いところにあると思ってそれを求めようとする、と言うことを表す四字熟語です。
【邇】は、「辶+爾」から出来た字です。常用漢字ではありませんので、この場合の之繞(シンニョウ)は
二点の辶が正字です。
【遠】は、常用漢字ですから一点の之繞(シンニョウ)です。
人がするべき事は、実は簡単なことの中にあります。 ところが人は、するべき事を難しいことに求めようとする。と言い直してもよいようです。
するべきことのモデルはすぐそばにありますよ、とでも言うんでしょうか。
出典は『孟子・離婁(リロウ)章句上』です。【在邇求遠】のところの全文を掲げます。
孟子曰く、道は邇(ちか)きに在り、而(しか)るに諸(これ)を遠きに求む。事は易(やす)きに在り、而(しか)るに之(これ)を難(かた)きに求む。人人(ひとびと)其の親(おや)を親とし、其の長を長とせば、而(すなわ)ち、天下平(たい)らかなり。
孟子が言いました。
人の踏み行うべき道は、すぐそばにあるのに、人はどこか遠いところにあると思ってそれを求めようと
する。
また、人々が自分の親を親として敬(うやま)い、目上の人を、目上の人として敬えば、世の中は
平和に治まる。
孟子(孟軻:モウカ。B.C.372 ?~B.C.289)は戦国時代の儒学者。字(あざな)は子輿(シヨ)。孔子に次ぐ聖人と言うことで亜聖(アセイ)とも称されています。
お母さんの元を離れて孔子の孫の子思(シシ)の門人の下で学びました。 お母さんは【孟母断機】、【孟母三遷】の故事で知られています。
福島で起こった『原発事故』を【在邇求遠】の教えとすべき、と思います。