言葉を理解する花ということで、美女のたとえです。特に楊貴妃のことを言います。
ある日のこと、太液(タイエキ)池の蓮花が開きました、という報せに、玄宗皇帝は、妃や官女を
したがえて、その池のほとりにやってきました。
太液の池に、千葉(センヨウ)の白蓮(ハクレン)有り。
太液の池に、満開の白蓮となりました。
帝、貴妃を指し左右に示して曰く、
皇帝は、妃を指さしながら、左右のものに言いました
爭(いか)でか我が解語の花に如かんと。
どうじゃ、(池の蓮の美しさも、)言葉を解する花にはおよぶまい。
「開元天宝遺事」より。
この前年、玄宗は息子:寿王の妃だった彼女を見そめ、寿王からひきはなし自分の
後宮に入れてしまいました。
思いのかなった玄宗は、政治に見向きもせず、楊貴妃だけにうちこんでいきました。
玄宗の前半二十数年は「開元の治」とよばれるほどによく治まった時代でした。
楊貴妃を得るあたりから、一転して乱れだし長恨歌の世界となりました。