【燕雀(エンジャク)安(いずく)んぞ鴻鵠(コウコク)の志を知らんや】の句で餘にも有名です。
小人物には大人物の志など、わかるものではない。
紀元前210年に始皇帝が崩御しました。
紀元前209年の7月、陳勝(チンショウ:字は渉)と呉広(ゴコウ)は辺境守備のため、農民900名と共に、
漁陽(ギョヨウ)へと向かっていました。
しかしその道中、大沢郷(ダイタクキョウ)にさしかかったところで大雨に遭って道が水没し、期日までに漁陽へたどり着く事が不可能になりました。
秦の法ではいかなる理由があろうとも期日までに到着しなければ斬首です。
期日までに着けない。そう判断した陳勝と呉広は反乱を決意しました。
世にいう、「陳勝呉広の乱」の始まりです。
『史記』陳渉世家にある【燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや】が、陳勝の若きときのエピソードです。
陳勝少時、嘗與人傭耕。
陳勝(チンショウ)少(わか)き時、嘗(かつ)て人と与(とも)に傭耕(ヨウコウ)す。
陳勝は若いころ人に雇われて耕作していました。
輟耕之壟上、悵恨久之、
耕(コウ)を輟(や)めて壟上(ロウジョウ)に之(ゆ)き、悵恨(チョウコン)すること
之(これ)を久しくして、
あるとき、耕す手を止めて小高い丘に行き、嘆息することしばし、
曰、苟富貴無相忘
曰く、苟(も)し富貴なりとも、相忘るること無なからん、と。
仲間に言いました、もし富貴の身になっても、たがいに忘れないようにしよう。
庸者笑而應曰、若為庸耕。
庸者(ヨウシャ)笑って応(こた)えて曰く、若(なんじ)、庸耕を為(な)す。
仲間の者が笑って、お前は雇われて耕している身だ、
何富貴也。
何ぞ富貴ならんや、と。
どうして富貴になどなれよう、と応えました。
陳勝太息曰、嗟乎、燕雀安知鴻鵠之志哉。
陳勝、太息(たいそく)して曰く、嗟乎(ああ)、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、と。
陳勝、ため息をついて言いました、ああ、燕雀にどうして鴻鵠の大志がわかろうか、と。