いつまで経っても、まったく進歩しない人のことを指す言葉です。
【呉下】は、呉の國の中でという意味です。
【阿蒙】は、親しみを込めて「蒙ちゃん」とでも言うんでしょうか。
中国古代史、三国時代、呉の武将の呂蒙(リョモウ)の故事によってできた四字熟語です。
【復(ま)た呉下の阿蒙に非(あら)ず】となっていまして、褒め言葉で使われています。
出典は『三国志』呉書・呂蒙伝。『十八史略』東漢・献帝ですが、ここでは十八史略からの引用です。
權將呂蒙、初不學。
権(ケン:呉の孫権のことです)の将呂蒙(リョモウ)、初め学ばず。
呂蒙は武略は好むが学問をしなかった。
權勸蒙讀書。
権、蒙に勧(すす)めて書を読ましむ。
孫権はこれを憂え、しばしば呂蒙に学問するように勧めていた。
魯肅後與蒙論議。
魯粛(ロシュク)後に蒙と論議す。
魯粛(ロシュク)が後に呂蒙と論議することになりました。
大驚曰、卿非復呉下阿蒙。
大いに驚いて曰く、卿は復た呉下の阿蒙に非ず。
大変驚いて言いました、貴公はもはや呉の部下にいた、昔の呂蒙ではない。
蒙曰、士別三日、即當刮目相待。
蒙曰く、士別れて三日ならば、即ち當に刮目して相待つべし。と。
すると呂蒙は言いました、士別れて三日なれば、即ち当に刮目して相待つべし、と。