【我儘】は、他人の迷惑を考えないで行動することです。
【放蕩】は、酒と女に溺れて身持ちが定まらないことを言います。【hou-tou】は 末尾が「u」の畳韻の擬態語です。【蕩】の意味は「ほしいまま」です。
【我儘放蕩】は福沢諭吉『学問のすすめ』初篇に2度出てきます。下記の文は、「自由」とはについて語っているところです。
学問をするには分限を知ること肝要なり。
人の天然生れつきは、繋(つな)がれず縛(しば)られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、
自由自在なる者なれども、ただ自由自由とのみ唱えて分限を知らざれば【我儘放蕩】に陥ること多し。
即ちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を
達することなり。
自由と我儘の界は、他人の妨げをなすと、なさざるとの間にあり。
譬えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、仮令(たと)い酒色に耽(ふけ)り放蕩を尽すも
自由自在なるべきに似たれども、決して然らず、一人の放蕩は諸人の手本となり遂に世間の
風俗を乱りて人の教えに妨げをなすがゆえに、その費やすところの金銀はその人のものたりとも
その罪許すべからず。
また自由独立のことは、人の一身に在るのみならず一国の上にもあることなり。