【浮生(フセイ)は夢の若し】と訓読みされまして、人生は夢のようにはかないものであるという意味です。
李白の「春夜 桃李園に宴する」という詩の序文に【浮生若夢】が出ています。
松尾芭蕉『奥の細道』の冒頭「月日は百代の過客にして…」は、この序文を参考にしています。
夫天地者萬物之逆旅 夫れ天地は萬物の逆旅(ゲキリョ)にして
天地はあらゆるものをの旅の宿のようなもの。
光陰者百代之過客 光陰は百代の過客なり
時の流れは、永遠の旅人のようなもの。
而浮生若夢 而して浮生は夢の若し
しかし人生ははかなく、夢のようなもの。
爲歡幾何 歡(カン)を爲すこと幾何(いくばく)ぞ
楽しいことも、長くは続かない
古人秉燭夜遊 古人燭(ショク)を秉(と)り夜遊ぶ
昔の人が燭に火を灯して夜中まで遊んだのは、
良有以也 良(まこと)に以(ゆえ)有る也
まことに、わけあってのことなのだ。
況陽春召我以煙景 況(いわ)んや陽春の我を召すに煙景を以てし
この春の日、霞に煙る景色が私を呼んでいる
大塊假我以文章 大塊(タイカイ)の我を假すに文章を以てするをや
そして、ある大いなるものが私に文才を授けてくれた。
會桃李之芳園 桃李の芳園に會し
桃や李の香りのする園に集まり、
序天倫之樂事 天倫(テンリン)の樂事(ガクジ)を序す
兄弟そろって楽しい宴で申し上げる。