【屋上、屋を架す】と訓読みされまして、屋根の上にまた屋根をかけるような無駄なことをするという意味です。
出典は『世説新語』文学篇ですが、その原文は【屋下に屋を架する】となっています。
おそらく誰かが、「屋下に屋を架す」 というのは、どう考えてもおかしい。家を建てるのに、一旦造った屋根の下に、また屋根を造るなんて、ムリだ。むしろ、屋根の上に屋根を造る方が、やり易いはずだ。
ということで、【屋上、屋を架す】すなはち【屋上屋架】がよく言われるようになったようです。
庾仲初作揚都賦成、以呈庾亮
庾仲初(ユチュウショ)、揚都(ヨウト)の賦(フ)を作りて成り、以て庾亮(ユリョウ)に呈す。
庾中初という詩人が『揚都賦:ヨウトフ』という詩を作り、親戚の庾亮(ユリョウ)に見せました。
亮以親族之懷、大爲其名價云。
亮、親族の懐(カイ)を以もって、大いに其の名価を為して云う、
庾亮は親戚のよしみで、大いにそれを評価して言った
可三二京、四三都。
二京(ニケイ)を三とし、三都を四とす可し、と。
二京にに合わせて三京となり、三都に加えて四都とするに足るものだ。
於此人人競寫、都下紙爲之貴。
此に於いて人人競ひて寫(うつ)し、都下の紙之が爲に貴(たか)し。
そこで、人々は争って筆写したので、都の紙の値段が高くなった。
謝太傅云、
謝太傅(シャタイフ)云ふ、
謝太傅は言いました、そうはいかない。
不得爾、此是屋下架屋耳。
爾(しか)るを得ず、此は是れ【屋下に屋を架する】のみ。
そうはいかない、それは屋根の下に屋根をかけたにすぎない。
事事擬學、而不免儉狹。
事事擬學(ジジギガク)して儉狹(ケンキョウ)たるを免れず
事々に真似をしていて、どうもけちくさい。