【人閒(ジンカン)は夢の如し】と訓読みされまして、文字通り、人の世は、夢のように儚(はかな)いものである、という意味です。
蘇軾の念奴橋(ネンドキョウ)という、赤壁の戦いを懐古した詞のなかに、
【人閒(ジンカン)は夢の如し】
一尊(イッソン:酒器) 還(な)ほ 江月に酹(ライ)せん。
という詞で出ています。
大江東去, 大江 東に去り
長江は、東へ流れ去り
浪淘盡千古風流人物。 浪は淘(あら)い盡(つ)くす、 千古の風流人物
波はいにしえの英雄的な人物を洗い消した
故壘西邊, 故壘(コルイ)の西邊(セイヘン)
かっての砦(とりで)の西
人道是三國周郎赤壁。 人は道(い)ふ是れ、三國 周郎の 赤壁なりと
人の言うには、これ三国の、周瑜(シュウユ)の赤壁である
亂石崩雲, 亂石(ランセキ)は雲を崩し
乱れる岩は雲を突き崩し
驚濤裂岸, 驚濤(キョウトウ)は 岸を裂き
逆巻く波は岸を切り裂き
捲起千堆雪。 捲き起こす 千堆(センタイ)の雪
厚く積もった雪の波しぶき巻き起こす
江山如畫, 江山は畫(え)の如し
江(かわ)と山は絵のように美しく
一時多少豪傑。 一時 多少(いくばく)の 豪傑ぞ
そのとき、幾多の丈夫(ますらお)がここにこぞったことか
遙想公瑾當年, 遙かに想う 公瑾(コウキン)の當年(トウネン)
遙かに(三国時代に)思いを馳せれば、公瑾(周瑜)はそのころ
小喬初嫁了, 小喬 初めて嫁(とつ)ぎ了(お)われり
小喬を娶ったばかりであった
雄姿英發。 雄姿は英發す
(周瑜の)雄々しい姿が輝いていた
羽扇綸巾, 羽扇(ウセン)と綸巾(カンキン)と
羽扇(うせん)(を持って)、綸巾(かんきん)をかぶり
談笑閒強虜灰飛煙滅。 談笑の間に 強虜(キョウリョ)は灰と飛び煙と滅す
談笑している間に(敵の)艦船を焼いて滅ぼしてしまった
故國神遊, 故國に神は遊ぶ
かっての地に遊ぶ魂
多情應笑我, 多情 應(まさ)に我を笑ふべし
多感なわたしは、きっと笑われるだろう
早生華髪。 早(つと)に華髪(カハツ)を 生ぜしを
はやくに白髪を戴いたことを
人間如夢, 人間(じんかん)は夢の如し
人の世は、夢のように儚いものである
一樽還酹江月。 一尊 還(ま)た江月に酹(そそ)がん
まずは酒を一樽(ひとたる)、川に注いで祈ろう
「赤壁の賦」とほぼ同時期、元豊2年(1082)の作です。『念奴嬌』は詞牌の名です。
建安13年(208)冀州の袁紹を滅ぼし、北方を平定した曹操は、大挙して江南に進出しました。
孫権・劉備の連合軍はこれと戦い、赤壁で【苦肉の策】を用いて曹操を火攻めにして大勝しました。
赤壁の戦で呉軍を率いたのが周瑜、字は公瑾。彼の妻が小喬、姉は大喬で孫権の兄:孫策の妻となっていました。この二人の美女をあわせて二喬といいます。