のびのびと、また生き生きとした様子を表した言葉です。
【申申夭夭】とした心境になれるのは、精神修養が充分になされたときである、とは佐藤一斎先生の言であります。
出典は『言志後録』32条です。
申申夭夭気象。
申申夭夭の気象は、
ゆったりして、やわらぎ喜ぶ気分は、
収斂熟時。
収斂の熟する時、
精神修養が充分になされてくるときにこそ、
自能如是歟。
自ら能く是くの如きか。
ゆったりして穏やかな気分となってくるものだ。
この【申申夭夭】は『論語』述而篇に孔子が自宅で寛いでいるようすを表した言葉としてでています。
子(シ)の燕居(エンキョ)するや、申申如(シンシンジョ)たり、夭夭如(ヨウヨウジョ)たり。
孔子が自宅でくつろいでいる時は、のびのびと、また生き生きとしておられる。