人に気に入られようとして、へつらいおもねることをあらわす四字熟語です。
【阿】に「おもねる」、「こびへつらう」という意味があります。
【諛】も「へつらう」、という意味を持ってます。
【阿諛】は、同じ意味の語を重ねて、「おもねり、へつらう」ことを強調しています。
【迎合】は、人の気に合うように努めること、おもねりへつらうことを表します。
中島敦の『李陵』第二章(司馬遷篇)に【阿附迎合】がみられます。
彼は、今度ほど好人物というものへの腹立ちを感じたことはない。
これは姦臣や酷吏よりも始末が悪い。
少なくとも側から見ていて腹が立つ。良心的に安っぽく安心しており、他にも安心させるだけ、
一層怪しからぬのだ。弁護もしなければ反駁もせぬ。
心中、反省もなければ自責もない。 丞相公孫賀のごとき、その代表的なものだ。
同じ【阿諛迎合】を事としても、杜周 (最近この男は前任者王卿を陥れてまんまと御史大夫と
なりおおせた)のような奴は自らそれを知っているに違いないがこのお人好しの丞相ときた日には、
その自覚さえない。
自分に 全軀保妻子(軀を全うし妻子を保つ)の臣といわれても、こういう手合いは、
腹も立てないのだろう。こんな手合いは恨みを向けるだけの値打さえもない。